24 エリザベート皇妃(18世紀)

 


エリザベート皇妃は当時ヨーロッパで最も美しい女性といわれ、その 複雑な性格やドラマチックな生涯は、ジャン・コクトーの戯曲「双頭の鷲」やルキノ・ヴィスコンティの映画「プリンセス・シシイ」に描かれています。

皇妃はオーストリア最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世妃であり、孤独の美の世界に生きたドイツのバイエルン王ルードヴィヒ二世が愛した女性としても有名 です。

彼女はルードヴィヒ二世の従祖母にあたるバイエルン王女ルドヴィカと同族の、 バイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフの娘としてドイツに生まれました。結婚後もエリザベートは毎年のように里帰りしシュタルンベルク湖に近いポッセンホ ーフェンの館で過ごしました。極度の人間嫌いのルードヴィヒ二世もこの八歳年上の遠戚エリザベート皇妃だけは例外で、知らせを聞くと対岸の離宮ベルク城から、馬車を駆ってポッセンホ−フェンの館にエリザベートに会いに出かけたといわれます。

文学・音楽・自然・旅の話など、エリザベー・トとのつきぬ語らい・・・。皇妃は夢見る王の心をとらえることのできる、この世でただ一人の気の合う理想の 女性でした。皇妃を自由を求める鳩、王を山上に住む鷹と呼びあった、長身でハンサムな王と知的で優雅な皇妃エリザベートとの、この一幅の名画を思わせるロ マンチックな逢瀬の舞台は、ドイツで最も美しい、森と湖をつらぬるバイエルン 地方で、口に入れると、とろりと溶けさるデザート、ババロアの発祥地です。

ミルクと果実とピューレ、またはミルクに卵黄を加えたこのリッチなお菓子は、一七世紀ごろまではババリアンクリームとよばれるバイエルン地方の飲物でした。やがてバイエルン地方 の貴族の家でフランス人のコックにより、この飲物にゼラチンが加えられ、美しい姿を楽しむ デザートが誕生したと「ラルース・ガストロノミーク」に記されています。貴族の名は定かで はありませんが、バイエルン地方の貴族を代表するバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフ家 で作られ、少女時代エリザベートがその愛らしい口元に運んだことは容易に想像されます。

一八五三年八月、オーストリアの保養地イシュルで、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフは、エリザベートの姉へレ−ネとの見合いの席で付きそいの妹エリザベートを見そめ、翌年四月、彼女は一七歳でウィーンの宮廷にお輿入れします。けれども詩をつづり芸術と自由を愛す る妃は、ヨーロッパで最もしきたりの多いハブスブルク家の宮廷生活と、実権を握る王の母君 大公妃、それに従う皇帝が意にそまず、皇妃としての仕事ははたしながらも、その多くの日々を旅に過ごし孤独の皇妃とよばれました。

やがてルードヴィヒの突然の死で最愛の幼な友だちに別れを告げ、その後わが子ルドルフの自殺にあい、妃自身も一八九八年九月十日、旅先のジュネーブで暗殺されました。

ルードヴィヒの散った十字架の浮かぶシュタルンベルク湖の小島ローゼン・インゼル(薔薇 島)は、薔薇の好きな王が一五〇〇本もの薔薇を植え、この島にかつてエリザベートを迎えいれたといわれます。

ルードヴィヒは美しい皇妃を薔薇の花をめでるように愛しんだにちがいありません。王はエリザベートの妹ゾフィと婚約します。この公女の中にエリザベートの面影をみたからでしょう。 しかし式は延期され、ついに婚約も解消されてしまいます。美しく聡明ではあっても、ゾフィはしょせんエリザベートの代りにはなりえなかったのでした。

当時この地方で盛んに作られるようになったチョコレートのトルテにシックな蓄薇を飾り、美しさゆえに悲劇の生涯を送ったエリザベート皇妃を偲んでみました。フランツ・ヨーゼフ一 世と皇妃が運命の出会いをしたイシュルの皇帝おかかえのお菓子屋さんツァウネルにも、今もチョコレートケーキが売られています。

23 フランツ・ヨーゼフ1世(18〜19世紀)

 


フランツ・ヨーゼフ一世は、オーストリアのハブスブルク王朝最後の皇帝です。皇帝らしい皇帝とされ、その容姿にも風格と気品があり、明治天皇が、正装の様式を学 ばれたともいわれています。

伯父フェルディナント一世の退任後即位しましたが、その治世はハンガリーの反乱 (一八四九)、一八六六年の普墺戦争、オーストリア・ハンガリー二重王国の成立、 バルカン問題、第一次世界大戦など歴史的大事件が相次ぎ、多難をきわめました。

それにもかかわらず、フランツ・ヨーゼフ一世ほどお菓子とゆかりが深く、お菓子を愛した皇帝も珍らしいほどです。

パンケーキのカイザー・シュマーレン(皇帝のパンケーキ)はオーストリアで最 も親しまれているお菓子の一つです。

kaser(カーザー)というのはアルプス地方の酪農家のことで、アルプス高原の放牧地で作られていたパンケーキがカーザー・シュマーレンとよばれていたものです。

皇帝フランツ・ヨーゼフ一世がイシュルに滞在していた時、ある一人の料理人が狐色にこんがり焼いたこのカーザー・シュマーレンを皇帝に献上したのでした。皇帝は大そう喜 ばれ、そのおいしさにいたく感激されたのでした。それ以来、カーザー・シュマーレンはカ イザー・シュマーレンとよばれるようになったと文献に示されています。

イシュルはオーストリアの有名な保養地で、皇帝にとっては思い出深い所です。

一八五三年八月、ドイツのバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフの娘で、以前にキッシンゲンで出合ったこともあった美しい女性、エリザベートと再会します。ウィーンの宮廷 の実権を握っているゾフィ大公妃が息子のフランツ・ヨーゼフの妃選びに乗り出し、姪のへレーネに白羽の矢を立て、イシュルに呼び寄せたのでした。このへレーネにつきそってきた のが妹のエリザベートだったのです。皇帝は母の反対を押し切り、一七歳のエリザベートを 皇妃に迎えたのでした。

思い出のイシュルには、今もフランツ・ヨーゼフおかかえだったというKonditoreiZauner (コンディトライ・ツァウネル)という菓子店があり、連日賑わっています。ラムトリュフを 飾ったチョコレートケーキのカイザー・トルテ、ふんわりやわらかな皇帝のオムレツやスフレなど、フランツ・ヨーゼフ一世の名をとどめるお菓子は誰にも親しまれる素朴なお菓子です。

けれども、絶対権力を継承する皇太子として保守的教育を受けた皇帝は時代の流れに対処できず、対外的にも失敗をかさね、オーストリア帝国を崩壊に導いてしまいます。そのうえ家庭 的にも幸せに恵まれず、皇子ルドルフは変死し、皇太子となった甥フランツ・フェルディナントもサライェヴォ事件で暗殺され、最愛の皇妃エリザベートも皇帝のそばにいる日は少なく旅にさまよい、ジュネーブで暗殺されてしまいます。

ハブスブルク王宮おかかえの店、ウィーンのデメル菓子店には、王の肖像画を飾った部屋が ありますし、ウィーンの一流ホテル、ザツハには世界的に知られたチョコレートケーキのザッ ハ・トルテを愛好した著名人のサインを刺繍したタペストリーがありますが、これにもフラン ツ・ヨーゼフ一世の美しい文字が記されています。オーストリアにはフランツ・ヨーゼフゆかりのお菓子やお菓子屋さんが今もたくさんあり、孤独な皇帝をなぐさめたお菓子たちに出会うた び、ほっとさせられます。
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >